平成22年司法試験刑事系第1問(刑法)

平成22年司法試験刑事系第1問(刑法)

〔第1問〕(配点:100)

 以下の事例に基づき,甲,乙及び丙の罪責について,具体的な事実を摘示しつつ論じなさい(特別法違反の点を除く。)。

 

1 V(78歳)は,数年前から自力で食事や排せつを行うことができない,いわゆる寝たきりの要介護状態にあり,自宅で,妻甲(68歳)の介護を受けていたが,風邪をこじらせて肺炎となり,A病院の一般病棟の個室に入院して主治医Bの治療を受け,容体は快方に向かっていた。

  A病院に勤務し,Vを担当する看護師乙は,Vの容体が快方に向かってからは,Bの指示により,2時間ないし3時間に1回程度の割合でVの病室を巡回し,検温をするほか,容体の確認,投薬や食事・排せつの世話などをしていた。

  一方,甲は,Vが入院した時から,連日,Vの病室を訪れ,数時間にわたってVの身の回りの世話をしていた。このため,乙は,Vの病状に何か異状があれば甲が気付いて看護師等に知らせるだろうと考え,甲がVの病室に来ている間の巡回を控えめにしていた。その際,乙は,甲に対し,「何か異状があったら,すぐに教えてください。」と依頼しており,甲も,その旨了承し,「私がいる間はゆっくりしていてください。」などと乙に話し,実際に,甲は,病室を訪れている間,Vの検温,食事・排せつの世話などをしていた。

2 Vは,入院開始から約3週間経過後のある日,午前11時過ぎに発熱し,正午ころには39度を超える高熱となった(以下,時刻の記載は同日の時刻をいう。)。Bは,発熱の原因が必ずしもはっきりしなかったものの,このような場合に通常行われる処置である解熱消炎剤の投与をすることにした。ところが,Vは,一般的な解熱消炎剤の「D薬」に対する強いアレルギー体質で,D薬による急性のアレルギー反応でショック死する危険があったため,Bは,D薬に代えて使用されることの多い別の解熱消炎剤の「E薬」を点滴で投与することにし,午後0時30分ころ,その旨の処方せんを作成して乙に手渡し,「Vさんに解熱消炎剤のE薬を点滴してください。」と指示した。そして,高齢のVの発熱の原因がはっきりせず,E薬の点滴投与後もVの熱が下がらなかったり容体の急変等が起こる可能性があったため,Bは,看護師によるVの慎重な経過観察が必要であると判断し,乙に,「Vさんの発熱の原因がはっきりしない上,Vさんは高齢なので,熱が下がらなかったり容体が急変しないか心配です。容体をよく観察してください。半日くらいは,約30分ごとにVさんの様子を確認してください。」と指示した。

3 Bの指示を受けた乙は,A病院の薬剤部に行き,Bから受け取った前記処方せんを,同部に勤務する薬剤師丙に渡した。

  A病院では,医師作成の処方せんに従って薬剤部の薬剤師が薬を準備することとなっていたが,薬の誤投与は,患者の病状や体質によってはその生命を危険にさらしかねないため,薬剤師において,医師の処方が患者の病状や体質に適合するかどうかをチェックする態勢が取られており,かかるチェックを必ずした上で薬を医師・看護師らに提供することとされていた。仮に,医師の処方に疑問があれば,薬剤師は,医師に確認した上で薬を提供することになっていた。

  ところが,乙から前記処方せんを受け取った丙は,Bの処方に間違いはないものと思い,処方された薬の適否やVのアレルギー体質等の確認も行わずに,E薬の薬液入りガラス製容器(アンプル)が多数保管されているE薬用の引き出しからアンプルを1本取り出した。その引き出しには,本来E薬しか保管されていないはずであったが,たまたまD薬のアンプルが数本混入していて,丙が取り出したのは,そのうちの1本であった。しかし,丙は,それをE薬と思い込んだまま,アンプルの薬名を確認せず,それを点滴に必要な点滴容器や注射針などの器具と一緒にVの名前を記載した袋に入れ,前記処方せんの写しとともに乙に渡した。

  なお,D薬のアンプルとE薬のアンプルの外観はほぼ同じであったが,貼付されたラベルには各薬名が明記されていた。

  また,D薬に対するアレルギー体質の患者に対し,D薬に代えてE薬が処方される例は多く,丙もその旨の知識を有していた。

4 A病院では,看護師が点滴その他の投薬をする場合,薬の誤投与を防ぐため,看護師において,薬が医師の処方どおりであるかを処方せんの写しと対照してチェックし,処方や薬に疑問がある場合には,医師や薬剤師に確認すべきこととなっており,その際,患者のアレルギー体質等については,その生命にかかわることから十分に注意することとされ,乙もA病院の看護師としてこれらの点を熟知していた。

  しかし,丙から前記のとおりアンプルや点滴に必要な器具等を受け取った乙は,丙がこれまで間違いを犯したことがなく,丙の仕事ぶりを信頼していたことから,丙が,処方やVの体質等の確認をしなかったり,処方せんと異なる薬を渡したりすることを全く予想していなかったため,受け取った薬が処方されたものに間違いないかどうかを確認せず,丙から受け取ったアンプルが処方されたE薬ではないことに気付かなかった。また,乙は,VがD薬に対するアレルギー体質を有することを,Vの入院当初に確認してVの看護記録にも記入していたが,そのことも失念していた。

  そして,乙は,丙から受け取ったD薬のアンプル内の薬液を点滴容器に注入し,午後1時ころからVに対し,それがE薬ではないことに気付かないままD薬の点滴を開始した。その際,Vの検温をしたところ,体温は39度2分であったため,乙は,Vのベッド脇に置かれた検温表にその旨記載して病室を出た。

  乙は,Bの前記指示に従って,点滴を開始した午後1時ころから約30分おきにVの病室を巡回することとし,1回目の巡回を午後1時30分ころに行い,Vの容体を観察したが,その時点では異状はなかった。この時のVの体温は39度で,乙はその旨検温表に記載した。

5 午後1時35分ころ,甲が来院し,Vの病室に行く前に看護師詰所(ナースステーション)に立ち寄ったので,乙は,甲に,「Vさんが発熱したので,午後1時ころから,解熱消炎剤の点滴を始めました。そのうち熱は下がると思いますが,何かあったら声を掛けてください。私も30分おきに病室に顔を出します。」などと言い,甲は,「分かりました。」と答えてVの病室に行った。

  甲は,Vが眠っていたため病室を片付けるなどしていたところ,午後1時50分ころ,Vが呼吸の際ゼイゼイと音を立てて息苦しそうにし,顔や手足に赤い発しんが出ていたので,慌ててVに声を掛けて体を揺すったが,明りょうな返事はなかった。

  Vは,数年前に,薬によるアレルギー反応で赤い発しんが出て呼吸困難に陥って次第に容体が悪化し,やがてチアノーゼ(血液中の酸素濃度低下により皮膚が青紫色になること)が現れるに至ったが,医師の救命処置により一命を取り留めたことがあった。甲は,その経過を直接見ており,後に医師から,「薬に対するアレルギーでショック状態になっていたので,もう少し救命処置が遅れていれば助からなかったかもしれない。」と聞かされた。

  このような経験から,甲は,Vが再び薬によるアレルギー反応を起こして呼吸困難等に陥っていることが分かり,放置すると手遅れになるおそれがあると思った。

  しかし,甲は,他に身寄りのないVを,Vが要介護状態になった数年前から一人で介護する生活を続け,肉体的にも精神的にも疲れ切っており,退院後も将来にわたってVの介護を続けなければならないことに悲観していたため,このままVが死亡すれば,先の見えない介護生活から解放されるのではないかと思った。また,甲は,時折Vが「こんな生活もう嫌だ。」などと嘆いていたことから,介護を受けながら寝たきりの生活を続けるより,このまま死んだ方がVにとっても幸せなのではないかとも思った。

  他方,甲は,長年連れ添ったVを失いたくない気持ちもあった上,Vが死亡すると,これまで受け取っていた甲とVの2名分の年金受給額が減少するのも嫌だとの思いもあった。

  このように,甲が,これまでの人生を振り返り,かつ今後の人生を考えて,これからどうするのが甲やVにとって良いことなのか思い悩んでいた午後2時ころ,乙が,巡回のため,Vの病室の閉じられていた出入口ドアをノックした。しかし,心を決めかねていた甲は,もうしばらく考えてからでもVの救命は間に合うだろうと思い,時間を稼ぐため,ドア越しに,「今,体を拭いてあげているので20分ほど待ってください。夫に変わりはありません。」と嘘を言った。

  乙は,その言葉を全く疑わずに信じ込み,Vに付き添って体を拭いているのだから,Vに異状があれば甲が必ず気付くはずだと思い,Vの容体に異状がないことの確認はできたものと判断し,約30分後の午後2時30分ころに再び巡回すれば足りると考え,「分かりました。30分ほどしたらまた来ます。」とドア越しに甲に言って立ち去った。

6 乙が立ち去った後,甲がVの様子を見ると,顔にチアノーゼが現れ,呼吸も更に苦しそうに見えたことなどから,甲は,Vの容体が更に悪化していることが分かった。

  甲は,しばらく悩んだ末,数年前にVが同様の症状に陥って助かった時の前記経験から,現時点のVの症状ならば,速やかに救命処置が開始されればVはまだ助かるだろうと思いながらも,事態を事の成り行きに任せ,Vの生死を,医師等の医療従事者の手にではなく,運命にゆだねることに決め,その結果がどうなろうとその運命に従うことにした。

  その後,甲は,乙の次の巡回が午後2時30分ころに予定されていたので,午後2時15分ころ,検温もしていないのに,検温表に午後2時20分の検温結果として38度5分と記入した上,午後2時30分ころ,更に容体が悪化しているVを病室に残して看護師詰所に行き,乙に検温表を示しながら,「体を拭いたら気持ち良さそうに眠りました。しばらくそっとしておいてもらえませんか。熱は下がり始めているようです。何かあればすぐにお知らせしますから。」と嘘を言ってVの病室に戻った。

7 乙は,他の患者の看護に追われて多忙であった上,甲の話と検温表の記載から,Vの容体に異状はなく,熱も下がり始めて容体が安定してきたものと信じ込み,甲が付き添っているのだから眠っているVの様子をわざわざ見に行く必要はなく,午後2時30分ころに予定していた巡回は行わずに午後3時ころVの容体を確認すれば足りると判断した。

  午後2時50分ころ,甲は,Vの呼吸が止まっていることに気付き,Vは助からない運命だと思って帰宅した。

  午後3時ころ,Vの病室に入った乙が,意識がなく呼吸が停止しているVを発見し,直ちに,Bらによる救命処置が講じられたが,午後3時50分にVの死亡が確認された。

8 その後の司法解剖や甲,乙,丙及び他のA病院関係者らに対する事情聴取等の捜査の結果,次の各事実が判明した。

 (1) Vの死因は,肺炎によるものではなく,D薬を投与されたことに基づく急性アレルギー反応による呼吸困難を伴うショック死であった。

 (2) 遅くとも午後2時20分までに,医師,看護師等がVの異変に気付けば,当時のA病院の態勢では直ちに医師等による救命処置が開始可能であって,それによりVは救命されたものと認められたが,Vの異変に気付くのが,それより後になると,Vが救命されたかどうかは明らかでなく,午後2時50分を過ぎると,Vが救命される可能性はほとんどなかったものと認められた。

   なお,本件において,Vに施された救命処置は適切であった。

 (3) VにE薬に対するアレルギーはなく,VにE薬を投与してもこれによって死亡することはなかった。

   なお,BのVに対する治療方針やE薬の処方及び乙への指示は適切であった。

 (4) E薬用の引き出しには数本のD薬のアンプルが混入していたが,その原因は,A病院関係者の何者かが,D薬のアンプルを保管場所にしまう際,D薬用の引き出しにしまわず,間違って,E薬用の引き出しに入れてしまったことにあると推測された。しかし,それ以上の具体的な事実関係は明らかにならなかった。

 

出題趣旨

本問は,A病院の入院患者Vが薬の誤投与に起因して死亡したという具体的事例について,Vを看護していた妻の甲,担当していた看護師乙及び薬剤師丙の罪責を問うことにより,刑事実体法及びその解釈論の理解,具体的事案に法規範を適用する能力及び論理的思考力を試すものである。

 第1に,甲の罪責については,甲がVの異状を認識しながら,看護師乙ら病院関係者に連絡することなく放置し,結局Vを死亡させたことについて,いかなる刑法上の罪が成立するかが問題となる。

 まず,甲が乙による巡回を妨害するなどの積極的な行為に及んでいるので,甲の行為を不作為,作為のいずれととらえるのかが問題となる。

 不作為とする場合は,不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否が問題となる。両罪を区別する基準として,殺意の有無によるとする考え方,作為義務の程度によるとする考え方などがあるが,いずれの立場に立ったとしても,後述する殺意の有無など関連する事実を認定しつつ,事案への当てはめを行うことが求められる。

 次に,不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否を検討する場合には,作為義務ないし保証人的地位の発生根拠(基礎付け事情)に関する考え方を示すことが必要となるところ,作為義務の発生根拠については,多元的に理解するのが一般であり,法令,契約及び条理のほか,先行行為,事実上の引受け,排他的支配領域性に求めるなどの様々な考え方があり,それらを踏まえて自らの見解を明らかにすることになる。

 甲に対する作為義務の有無の検討においては,単に甲がVと夫婦関係にあり,民法上の扶助義務を負うことだけで足りるとするのではなく,甲が午後2時に乙の巡回(容体確認)を妨害したことなど,具体的事情を丁寧に拾いつつ,その事情が作為義務の発生根拠との関係でどのような意味を持つのか明らかにする必要がある。また,VがA病院に入院中の患者であり,Vに対する看護義務は第一次的には乙ら病院側にあることを踏まえ,どのような事情があれば甲に作為義務が認められるかを論ずることが肝要である。

 甲に作為義務が認められるとしても,その作為義務の内容,作為可能性・容易性についても検討する必要があるほか,甲の不作為とVの死亡という結果との間の因果関係について,不作為犯の特殊性を踏まえつつ,事例に即して論ずることになる。

 さらに,甲に対して不作為による殺人罪の成立を肯定するためには,殺意(故意)の検討が必要となる。甲は,Vの危険な状態を認識しながらも,Vの介護から解放されたいと思う一方で,長年連れ添ったVを失いたくないという複雑な気持ちを抱き,その間で感情が揺れ動いているので,結果の発生に対する認識・認容が必要とする認容説(判例)など自らの立場を明らかにしながら,具体的事例における当てはめを行うことになる。

 殺意を認定する場合には,その成立時期についても留意する必要がある。なぜなら,殺人罪が成立するには,殺意が肯定されることに加え,作為義務の発生時期,救命可能性が認められる時期(午後2時20分まで)との関係も踏まえ,これらがすべて満たされる必要があるからである。

 第2に,乙丙の罪責については,乙と丙が医師Bの処方したとおりのE薬ではなくD薬を投与した上,乙がBの指示どおりにVの容体確認をしなかったため,Vが死亡するに至っていることから,乙丙それぞれについて業務上過失致死罪の成否を検討することになる。

 まず,前提として,業務上過失致死罪(刑法第211条第1項)の「業務」についての判例の理解を踏まえつつ,これを,看護師,薬剤師という乙,丙それぞれの仕事の特性を考慮しつつ当てはめを行うことになる。

 次に,過失犯の理論について,事案の解決に必要な限度で簡潔に自らの考え方を明らかにした上,事例に即して,乙丙に課せられる具体的な注意義務の内容を特定する必要がある。特に,乙については,誤った薬の投与という行為だけでなく,医師Bに指示されたとおりの巡回を行わなかったことも認められるので,それぞれの行為について具体的な注意義務を検討すべきである。

 その上で,問題文中の具体的事情を摘示しつつ,乙丙のVの死亡という結果に対する予見可能性や,結果回避可能性・結果回避義務違反について検討すべきである。

 さらに,乙丙に対してV死亡の結果の責任を問うためには,乙丙の薬品の投与に係る過失行為の後に甲の(不作為による殺人行為又は保護責任者遺棄行為という)故意行為が介在している(丙の場合は,それに加えて乙の過失行為も介在している。)ことから,因果関係の有無が問題となる。因果関係については,相当因果関係説,最近の判例の立場とされる客観的帰属論的な考え方など見解は様々あるところ,自らのよって立つ考え方を明らかにした上,当てはめを行うことになる。その際,介在している甲の行為は,故意行為とはいえ,不作為であって,因果の流れに物理的に影響を及ぼしたとまでは言い難いという点をどのように評価するかがポイントとなろう。

 最後に,こうした検討を経た上で,甲乙丙の罪数判断を示す必要がある。

 なお,乙丙の関係については,過失犯の共同正犯を肯定する見解に立つ場合には,乙丙間に業務上過失致死罪の共同正犯が成立する余地があるが,その場合,乙と丙が共通の注意義務を負っているといえるかが問題となるほか,乙丙の各過失行為と結果との間に単独犯として因果関係がそれぞれ認められるとの結論に至った場合に,共同正犯を認める実益は何かという問題意識も必要となろう。乙丙間における信頼の原則の適用についても問題となり得るが,看護師,薬剤師のそれぞれに独立して適正な薬であることの確認が求められているような体制下で,同原則を適用することの相当性が認められるか否かを検討する必要があろう。

 論述においては,刑法解釈上の論点に関する判例・学説の基本的な事項についての正確な理解に基づき,複雑な事案を解きほぐしていくという分析作業を行うとともに,事案の解決に必要な範囲で論点に関する自らの見解とその論拠を簡潔に示すことが求められる。いわゆる論点主義に陥ることなく,具体的事案を虚心に分析,検討し,結論の妥当性も勘案しながら,事案に現れた事情を丁寧に拾い,その持つ意味を明らかしていくという粘り強い論述が求められている。

 
 

採点実感

1 出題の趣旨の補足

 既に公表した出題の趣旨のとおりである。

 

2 採点の基本方針

 出題の趣旨にのっとり,具体的事例における甲乙丙の罪責を問うことにより,事例を的確に分析する能力,事例を解決する上で必要となる論点を抽出し,当該論点に関する刑事実体法及び解釈論の知識・理解を展開する能力,具体的な事実に法規範を適用する能力,論理的に思考し,その過程を論述する能力を総合的に評価することが基本方針である。

 その際,刑法総論・各論の基本的な論点についての正確な理解の有無に加え,事実の評価や最終的な結論の妥当性,結論に至るまでの法的思考過程の論理性を重視して評価した。

 その結果,事案の特殊性を十分に考慮することないまま,結論を導くのに必ずしも必要ではない典型的論点に関する論述を展開する答案や,事案の全体像を見ず,細部にとらわれ,問題となり得る刑法上の罪をできるだけ多く列挙し,その相互の関係や結論の妥当性を考慮しないような答案は,低い評価にならざるを得なかった。

 他方で,数は少ないものの,論点に関する一般論に終始するのではなく,問題文の事例に即して具体的な検討を行っている優れた答案も見られた。例えば,甲の罪責については,(1)Vが病院の入院患者であって第一次的な看護義務は乙ら病院側にあるという事情にも十分留意しつつ,複数の具体的な事情を詳細に検討して不作為犯の作為義務の存否を検討している答案,(2)作為義務,救命可能性及び故意について,それぞれの時間的先後関係を意識して検討している答案,また,乙丙の罪責については,(3)乙丙それぞれが担う業務の内容に応じて,過失犯の注意義務の内容を具体的に特定している答案,(4)乙丙の予見可能性や結果回避可能性等の有無について,具体的な事情を拾って当てはめてを行っている答案については,高い評価となった。

 

3 採点実感等

 (1) 全体

 ほとんどの答案が,甲については,不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否,乙丙については,業務上過失致死(傷)罪の成否を検討しており,これは出題の趣旨に沿うものである。

 (2) 具体例

 考査委員による意見交換の結果を踏まえ,答案に見られた代表的な問題点を以下に列挙する。

ア 甲の罪責について

 ① 甲を不作為犯ととらえた場合の作為義務の内容について事例に即して具体的に考えていないため,作為犯と不作為犯の区別が曖昧になり,甲を安易に作為犯とする答案

 ② 不真正不作為犯の成立要件に関する規範の定立を十分に行わないまま,不作為による殺人罪等の成立を認める答案

 ③ 甲に対する作為義務の検討において,甲がVの妻であって民法上の扶助義務があるということだけで作為義務の成立を認め,その他にも作為義務を基礎付け得る具体的事実があるのにこれらを十分に拾い上げていない答案

 ④ 不作為犯の因果関係の特殊性を考慮することなく,単純に不作為とVの死亡の結果の因果関係を肯定する答案

 ⑤ 甲の殺意を検討するに当たり,甲がVの死を受け入れるかどうか迷っていたことをもって,安易に殺意を否定し,その後,甲がVに医療行為を施さずにその生死を運命をゆだねることにしたという点について,十分に検討していない答案

 ⑥ 本問では,Vの救命可能性が認められるのは午後2時20分までであるから,それまでの間の作為義務及び故意の存否が重要であるのに,このような時間的関係を意識することなく,既に救命可能性が失われた時点で作為義務や故意を認めて不作為による殺人罪等の成立を肯定する答案

 ⑦ 時系列に沿ってそれぞれの時点で成立する犯罪を検討し,甲には,まず,保護責任者遺棄罪が成立し,次いで,不作為による殺人罪が成立するとし,両者の関係を併合罪関係にあるなどとする答案

イ 乙丙の罪責について

 ① 過失犯の基本的な理論(予見可能性・予見義務,結果回避可能性・結果回避義務を内容とする注意義務違反など)について全く言及していない答案

 ② 刑法各論の基本的な知識である業務上過失致死傷罪における「業務」の意義について,判例の立場に立つと思われるものの,判例の内容を正確に理解せず,単に「人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為」とだけ述べ,「他人の生命身体等に危害を加えるおそれがあるもの」という点についての言及がない答案

 ③ 乙丙に対する業務上過失致死傷罪を検討するに当たり,看護師である乙と薬剤師である丙とではそれぞれが担当する職務が異なる上,乙には投与する薬の確認のほか,投薬後のVの容体を確認することが求められていたのに,乙丙それぞれが担当する職務に応じて負担する注意義務の内容を具体的に特定していない答案

 ④ 乙丙の注意義務違反の当てはめにおいて,予見可能性や結果回避可能性等に関係する具体的事情をほとんど拾っていない答案

 ⑤ 乙丙の過失行為の後に甲の故意行為が介在しており,因果関係の認定上の論点となるのに,その点についての検討がないまま,乙丙の行為とVの死亡結果との間の因果関係を肯定している答案

 ⑥ 因果関係の有無に関する解釈論を論述しながらも,その具体的適用方法を正確に理解していないため,事例への当てはめが適当でない答案

 ⑦ 乙丙それぞれに単独犯として過失犯の業務上過失致死罪の成立を認めながらも,両者の間の過失犯の共同正犯について,それを認める実益を考えることもないまま検討し,両者の注意義務の共通性について十分に検討することなく,共同正犯を肯定する答案

 ⑧ 業務上「重過失」致死傷罪なる罪の成立を認める答案

ウ その他

 ① 甲が検温表にVの体温について虚偽の記載をしたことをとらえ,署名又は印章の存在や,権利義務又は事実証明に関する文書という私文書偽造罪の構成要件について検討しないまま,同罪の成立を認める答案

 ② 乙には,VがD薬によるアレルギー反応を起こして異状を呈していることの認識がないのに,そのことを意識しないまま,乙に故意犯である保護責任者遺棄罪の成立を認める答案

エ まとめ

 上記各例は,刑法総論・各論等の基本的知識の習得や理解が不十分であること,あるいは,一応の知識・理解はあるものの,いまだ断片的なものにとどまり,それを応用して具体的事例に適用する能力が十分に身に付いていないことを示しているものと思われる。

 また,不真正不作為犯の成立要件について,まるで型にはめたような論述例が数多くあったこと,過失犯の共同正犯について,それを論ずる実益を考えないまま論述する答案が相当数見られたことは,受験生が典型的論点に関する論述例の暗記に偏重するなどした勉強方法をとった結果,事案の特殊性を考慮して個別具体的な解決を模索するという法律実務家に求められる姿勢を十分に習得していないのではないかと懸念されるところである。

 他方で,本問は,病院内における医療過誤と不作為犯とが絡む比較的複雑な事案であったにもかかわらず,大多数の答案は,甲について不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否,乙丙について業務上過失致死傷罪の成否の問題を検討しおり,問題解決の大枠はとらえていたこと,問題文中の具体的事実を抽出し,法的当てはめを行うという姿勢は,(十分とまではいえないものの)定着しつつあることを指摘することができ,これらは望ましい傾向である。

 

4 今後の出題について

 出題の在り方について様々な意見があると承知しているが,新司法試験の目的を十分に考慮しつつ,受験者の能力の適正な評価が可能となるような問題を作成すべく,今後の工夫を重ねていきたい。

 

5 今後の法科大学院教育に求めるもの

 既に述べたとおり,事案から具体的事実を拾い出して法規範に当てはめるという姿勢は定着しつつあるものの,刑法の基本的事項の知識・理解が不十分な答案や,その応用としての事例の分析,当てはめを行う能力が十分でない答案も見られたところである。

 法科大学院においては,引き続き,学生に対し,基本的な刑法の知識・理解の習得に努めさせるとともに,判例の結論だけでなく,判例の事案の内容を丹念に読み込むことなどを通して,習得した知識を具体的事案に当てはめ,具体的妥当な解決を導くことができる能力の涵養に一層努めていただきたいと考えている。

 

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